似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

葬儀

昨日、今日と組合関係で御一緒していた方の通夜と葬儀に参列してきました。
まだまだお若い方です。喪主を勤められた長男の方も20才と少しくらい。
宗教色の濃いお葬儀でしたけど、とても暖かなお葬儀でした。
人望の厚さ、交友の広さその方の生前の印象そのままでした。

くも膜下だったそうです。突然に。
自分の身内でも起こった病気です。
でも、あの突発生は事故に似ている。

突然のこと過ぎて、ぼんやりと参列した昨日より今日のほうが悲しかったです。


葬儀の最中に自分のことを考えたりしていました。
突然やってくるかもしれない、ゆるやかにやってくるかもしれない。
でも、子供達だけでは取り仕切れない部分もあるのかもと
今日、もしものことがあったらお願いします。ってお願いをしてきました。
なんかわかんないけど、ほっとした。


ずっと前にその宗教の信者であったと有名だった作家の方の本を読んだことがあります。
ふと、自分の前世を考えることもあります。
信仰心はないのだけど、縁の不思議さを思う時に「ああ、なるほど」と
解釈のしかたを教えてくれるものがあれば
それを信じてやまない人も多いのだろうなと思いました。

ただ、自分に信仰心がないのは、その教祖的存在の方が今現在も生きている人間だという嫌悪感があるからなんですね。


御遺族の方に見送られる時にお声をかけたかったのだけど
できなかった。
「また来世で出会えるといいですね。きっと出会えますよ。」
宗教を批判するつもりはないのです。
その宗教に入ろうとも思わないのですけど、愛ってすばらしいのですね。