似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

結婚生活と離婚と

23で長男を24で長女27で次男

子供たちには恵まれた。

とても楽しくて毎日がにぎやかだった

 

まだ、バブル真っ只中

夫の給料は年々あがったし、不要な家電製品も増えた

夫の給料から生活費を渡されていたので

貧しい中にも楽しくと

月に一度は子供を連れてマクドナルドへ

そのマックは堤防の近くにあったから

いつも、そこで食べてた

かもめにポテトをあげるのか盗まれるのか

どっちともつかずなせめぎ合いを子供たちは覚えているだろうか

 

専業主婦が憧れだったし

近くの公園へ3人を連れて遊ぶ時間は

今までの人生の中でも一番楽しかった時代かもしれない。

 

 

仲良しになったママ友達が

一戸建てを購入して付き合いがなくなる頃

家を買う話が出た。

いや、正確には。

義理の母から「中古だけど家を買ったからそこに住むように」との報告だった

 

 

新築ではなく、築30年

その頃の日本家屋の間取りは

和室続き間の客室が一番大きく

茶の間が小さく暗い

 

長男が小学校に入学する頃に

増築をして引っ越した。

 

その時、我が家のバブルがはじけた

 

夫が転職をすると言い出した。

友人の事業を手伝う。

手取りは変わらないようにしてくれる

 

生活に困るはずもなく、「あなたがしたいのなら」と同意した

 

1年後彼は解雇された。

友人の伝で再就職するも手取りが半分に

急にわたしが働く事になった

それも、彼の変わりにパートで同じ職場へ

次男を保育園へ入れて朝9時から午後3時まで

この時、インフルエンザが大流行して

家族全員が次々に倒れて

1ヶ月ずっと看病の為に休んだので一旦そこは辞めた。

 

 

決定的な出来事は、この時期に起こった

 

家族がインフルエンザにかかったあと

わたしがインフルエンザになった。

寝込んでいたわたしの頭を蹴って夫は立ったまま見下ろしこう言ったのだ

「晩飯どうするんだ!」と

 

 

のち、家の近くの小さな工場へパートで行くことになった

近くだとお昼休みも家に帰ってこれるからと決めた。

 

子供達はずっと寂しかったんだろう。

小学校の夏休みの時期は、工場の昼休みの時間になると子供達がにこにこ迎えに来てくれた。

 

 

それから、しばらくして

父が建築業等で作った負債を処理する為に、新店舗を立ち上げることになった。

弟から、今のお給料より多く渡せるから経理で来てくれと頼まれ行くことにした。

小さな遊技場だ。

 

お給料があがって、養われる人から

ふたつのお財布になった。

これで離婚できる。

そう思って何度か話をした

でも、子供達を連れて出ることは許さない。の一点張りで話が進まない。

 

 

その時長男が「ごめんね、僕が生まれてこなければ良かったね」と泣いた。

この子の為に冷戦状態を維持することにした。

家の中では怒鳴られないように

家の中で出会わないように

そうして、わたしは帰宅拒否症候群になった。

家に居ると頭痛と吐き気に悩まされた

一分一秒でもいたくなかった

だけど、子供達と布団を並べて眠れるのが嬉しかった。

ただ、子供達がいればそれでいいと。そう思っていた。

 

 

そんなある日、弟が会社の鍵を叩きつけて出て行った。