決断の時再び

3月11日

お客様から「テレビ点けて!早く!」と言われつけたテレビには

仙台空港津波の映像だった。

 

CG?何?この日本地図の沿岸の赤いラインは?

 

すぐに事務所に入ってネットに繋ぐ

 

のちに「東日本大震災」と名づけられた

 

 

福島の原発事故は、会議中に見た

日本はもうダメかもしれない。

九州にいて出来る事はなんだろう。

忙しい毎日の中で、情報収集をし

物資や現金、出来る事はしようと思った。

 

 

避難所を巡って家族を探している少年の記事を読んだ。

仲のいい友人と屋上へ続く階段を手を繋いで上って手が離れてしまった女子高生の記事も読んだ。

送られてきた体育着のタグに「生きて」と書かれていたのよ。と笑顔のおばあちゃんの記事も読んだ。

 

人の命の儚さに

人の優しさに

東北の人の我慢強さに

 

励まされ、勇気をもらい

自分の人生について深く考える事が多くなった

 

 

夢はなんだったんだろう。

人生ってこのままでいいのだろうか。

いつか清算すべきではないのか

ストレスはどこから来るのか

 

 

そうして

8月末日閉店を決めた。

それに向かって走り出した。

その事だけに集中した。

 

 

沢山迷惑をかけた人がいる

優しく接してくれた人も多かった

本当は生きている事が奇跡なのかもしれない。

あの頃のわたしは沢山の人に助けられた

返してもらった借用書の字は妹の字だった。

 

 

 

そうして、借金はなくなった。

 

終わり。