そんなわけで、あと少しまで読み進めた【新五代友厚伝】感想を
中でも史実に沿って進むので、映画でも五代友厚関連の本でもあった逸話
地球儀にしたのは兄でした。
と、薩英戦争で英国に薩摩の武器と志を説いたという場面も
これは英国が自らの判断で撤退したのではないか。という事です。
むしろ五代友厚がその力を発揮するのは、堺事件以降の事かもしれません。
著者八木孝昌氏は淡々と史実資料を元に解説方式で進めているのですが
時々ご本人の言葉で思いも書いていらっしゃいます。
+++以下本文より抜粋+++
志のあるところには、まるで天が味方したかのような幸運が訪れることがある。
危機管理能力のない者が頂点の位置にいて危機に挑むときの悲劇を、慶喜ほどに典型的に演じた例は稀です
五代友厚の真価は怪しげな武勇譚にあるのではありません。与えられた職務を全力投球で果たすというその真摯な姿勢にあります。そして私的利害を超えたところで、自己に与えられたと信ずる使命に向かって邁進するという生き方にあります
五代に限らず、明治の元勲たちも明治国家との関係が極めて近かったので(中略)国家を何か遠い象徴的な存在と見るのではなく、身近な、直接の手触りのある具象的なものとして見ることが、明治維新の政治や経済の中枢にいた人たちには可能でした
特に感動したのはこの部分
(大阪会議後西南戦争の章) 実業界時代の五代を通観して明らかなことですが、五代は中央政府と太い人脈をもちながら、その人間関係を遂に金儲けのためのビジネスに利用しませんでした。その清廉はどれだけ強調してもし過ぎる事はありません
岩崎弥太郎やあの頃財閥の基礎を作った人物達が商才に長けた人かもしれないけど
五代友厚の潔さが一番わかる部分かもしれない。です。
大久保利通暗殺後 (涙が止まらない) 明治11年にして小松帯刀西郷隆盛桂久武を西南戦争で失い、そして大久保利通を暗殺で失い...
(弘成館規則自序より) 善を成すものは善を以て門戸に競ふ。不善を成すものは其災責瞬間に報ふ
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この日本を大国に並び追いつけるように留学で得た知見と
大きく100年後を見越していたのではないかと思われる五代友厚の手がけ立ち上げた事業や事業形態を知ると、商才はなかったかもしれないけれど、あの時代にしっかりとした信念の元目的を持って行動した人なのだとわかります。
それから映画の中で五代友厚が先ず金銀取引所を設立するのですが、混乱の中日本と諸外国の金銀交換比率が異なった為に金銀の海外流出問題があり早急にを防ぐ為、また鉱山を開拓する為に大阪造幣局へ金銀を納入し利益を得る目的があったのでは。と書いています。 また、貿易収支の改善と既得権益の保持の為に日本の為にずっと種を撒き続けていた人なのだと
その撒いた種が花開く事を知る事もなく49歳没
+++読後追記+++
(北海道開拓使払い下げ)
今でも歴史の教科書やテストで訂正されることなく伝えられている過去に史実資料を元に真っ向から立ち向かったのがこの八木孝昌著著新五代友厚伝でした。
五代がなぜ公に疑いを弁明し晴らさなかったのかと言う事にも広瀬宰平氏との書簡のやり取りの中で拾い出していました。
幕末から明治維新にかけての大変革の中生きた49年の五代友厚の人生とは。
「余は仮令失敗、或いは産を空くするも、素より国家の事業を進め後人を利するの小補ともなれば、是れ余が望み足れりとするなり」
と残した言葉の通り、
個人の利益ではなく国益公益の為に生きた壮大な人生でした。
これは蓮佛美沙子さんが個人的に綺麗だなと撮った写真だそうです。