似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

生きている意味

70を超えたおかあちゃんから
仕事しないかって声をかけられたけど、どうしよう。と電話をもらった
それでなくても、一度大きな手術してるし
その後、わたしたちには内緒で近くの焼肉屋さんにパートに出て倒れて迷惑かけたって
自分のこと一番良くわかってるはずなのに
働きたい意欲はわかるんだけど。

私「あかんあかん、また迷惑かけるようなことになったらどーすんの?
 紹介してくれた人にも迷惑かけるやろ?」
母「こないだのは時間が長過ぎてん、今度のは2時間くらいやから」
私「今までめいっぱい働いてきたやん、やめとき。」
母「一日中なーんもせんと、これで生きてる意味あるん?」
私「生きてる意味て、今まで生きてきた意味も含めて否定するんかいな?
  それやったら生きて来た恩返しでボランティアとかしたらどう?」
母「そやけど」
私「なーんもせんと生きてる意味がないとか自分を責めてどーすんの?
  元気なだけでありがたいことやと思わな」
母「わかった...」

きっとそんなことを聞く訳ではないおかあちゃんなので
内緒で働くつもりってのもわかるんですけどね
子供の心親は知らずです。

いつから逆転したんだろうなあ、子と親と。

働けるうちは働けることが生きてる意味なんだろうか?
そうではなくて、人に求められ(この場合働かない?って声をかけていただけたことに答えたい気持ち)たのが
嬉しかったんじゃないだろうか。

自分の生きてる意味はなんだろうか。


年をとって、おかあちゃんの年令になった時に
はじめておかあちゃんの気持ちが本当にわかるようになるんでしょうね。


住む所があって、食べる事ができて、ちょっぴり時間があって
ちょっとだけでも遊ぶ事もできて、でもって働くことができる。か。

生きてる意味を問うと、生きてる姿勢を問うことになるんじゃないでしょか?
と、まあ固い話で...(w