似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

親としてはどうなんだろうと思う。自分は自分が思う通りの人生を歩きだしてまだほんの少し。
それまで依存した生き方をしてきた。母みたいになりたくないという思いで。
合方の言う通りの選択と決断。合方が晴れた空を見て今日の天気は悪いといえば、その通り。
かなり無理してしまっていたので、抜け出すのに爆発した。


彼の父親は一人っ子で、いわゆるパラサイト。
仕事してるからたちが悪い。収入があるのに家を買う時も修理は親の財布まかせ。
(母親が大金持ちかというと、そうではなくコツコツ自分達の節約をして息子のおねだりには金を出すタイプ)

車も2台必要なわけないのに、カッコつけ用のマジェスタ(ほとんど乗っていないらしい)と通勤小回り用のボックスカー1台。おそらくこれも母親財布任せ。当然、今も車の税金保険その他は母親財布任せ。
ボイラーの灯油が切れてもいっさい金を出さない。人としてどうなんだと思うことが山のよう。


でも、年老いた一時は義理の母だった人を見ていると、金の切れ目が縁の切れ目。
倒れたり、要介護になった老後は見てはくれないだろう。そんな心構えがもないようなことを話していたので。
(妻が看取るのが陶然だと常々話していた。要するに、妻は便利なお手伝いさんかと感じた)
そういう父親を見ていて息子はどう感じているのかがわかる。


親になるということは難しい。わが子の為よかれと思ったことが大抵は裏目に出る。
でも、ほうっておけない。
距離としては、やっぱり離れて暮らして近況を時々話し合うようなのがいいのかも。


息子に、お母さんは18の時、家を出たかったから夜逃げしたよ。お金もなくね。と話した
(家を出ることを許してくれなかった父との話し合いをするのが嫌で夜中に荷物を運び出してそのまま家出。笑)
その後、実家がお引っ越しの時に、家具とかトラックで運んでくれたよ。ひとりでがんばっとるやないけって笑って。

彼に勧めるわけじゃないけど。独りでもお金がなくてもなんとか生きて行けると思うのが若さだと思う。
若いってすばらしい。

でも、母親には世話になりたくない(そういう選択は、父親と同じだからと思っているらしい)
親子っていろんな形があるんだけど。どれが正しいとかはないね。
だから人間として正しいと思う選択をするしかないんだろうね。
彼の21才の誕生日に思う。