似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

お父さんとお父さん

や、別に2人いるわけではなく
今日お父さんから「元気か?」って電話もらって
ふとお父さんの年令が気になった。
71!
お父さんのお父さんが亡くなったのが72だった。
その時お父さんは独り部屋で大の字になってタオルを顔にかぶってた。
たぶん泣いてたんだろうと思う。
そーっとふすまを閉めた記憶がある。

大阪で暮らしていたころ、お父さんの景気の良し悪しはジェットコースターのようだった
工場付きの家に居たり、夜逃げしたり、そうかと思うとタクシーに乗ってチップで生活してるっぽかったり
その時住んでたアパートから引越す先が新築の倉庫の2階部分でめちゃくちゃ広かった。倉庫の仕事をするとか言ってたけど預かり荷物が回転しないともうからないって、すぐにそこは引き払う事になるのだけど。笑
お金どうしてたんだろう。ま、いっか。

最後、大分に引越して来る前に、お父さんのお父さんとお母さんと一緒に住んだ。
5DKの一軒家。その一室でお父さんはヘップ(婦人靴だったりサンダルだったり)の仕事をしていた。
のち、失踪するのだった。笑

最初、お父さんのお父さん(ややこしいからおじいちゃんと呼ぶか)とおばあちゃんと一緒に住んでた。
でも、おばあちゃんはうちのお母ちゃんが大嫌いで出て行った。

ある日、孫であるわたしたち4人が一斉におじいちゃんの部屋に呼び出された。
説教されたんだと思う。当時反抗期まっしぐらのわたしは何か言ったみたいで
おじいちゃんに蹴られた。
ので、蹴り返したらものすごい力で胸ぐら捕まえられたので振り切って2階で寝てたお父さんの部屋に逃げた。
ら、お父さんに思いきり殴られてタンスに背中を強打した。手加減しろよ。笑

なんか、とにかくそんな騒々しい中おじいちゃんが入院した。
糖尿病だって言ってた。
学校の帰り道にある病院だったから、毎日顔を出した。
(めちゃくちゃ恐かったお母ちゃんの命令でもあった)
顔を出すとおじいちゃんはにこりともしないで100円玉をくれた。
当時の100円ったら中学2年の女子には大金で嬉しくて毎日通った。

そうすると、おじいちゃんが「もうこんでもええぞ」って言った。
「わかった」ってそれきり、ホントそれっきりおじいちゃんの顔を見る事はなかった。

その後お父さんは1ヶ月くらい失踪した後家に戻って来て
「おまえら大分に来るか?」って声をかけてきた。

家族はお父さんとわたしと弟2人、お母ちゃんとお兄ちゃんの2手に別れてその家を後にした。
その後その家は人手に渡ったらしい。(事業の後始末と一緒だったのかな)

おじいちゃんは結局その家に帰ることなく、病院で息を引き取った。
学校で担任の先生から「おじいちゃんが亡くなったらしいから早退しろ」と言われて戻ったアパートで見たお父さんの姿が
大の字に部屋に仰向けになって顔にタオルを置いてた。声もなく泣いてたのだと思う。

葬儀にはお父さんだけが行った。その頃お金がなかったお父さんは肩身の狭い思いをしたのだろうと思う。
兄弟が多いから誰かが仕切ってたみたいだけど、長男であるお父さんにしてみれば辛かったのだろうと思う。

お父さんのジェットコースターの頂点が今から18年くらい前かな。
バブルで得た泡銭でパチンコ業を手掛けるわけです。当時の年収はすごかったらしい。
若い、わたしと2つしか違わない嫁と3回目の再婚をするくらいだから半端なかったんだと思う。
で、今は1人で暮らしてます。でも、慕ってくれる友達がいるらしく楽しくやってるって。
貧乏な時こそ真実が見えるんだぞ。って、きっと教えてくれてるんだろう。

そんなわけで、お父さんから「元気か?」って電話もらって「ちゃんとご飯食べてる?」って聞くことしかできなかった娘は今度誘おうと思う。「お父さん、一緒にご飯食べよう」って