似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

今だから言えること

まあ、いろいろな経緯がありまして。
親父さんが、建築業でバブルった時の泡銭おw元に
無借金ではじめた小さな港町の小さなパチンコ屋さんが
それなりに、良い結果を生むんですね。

親父さんには3人の男の子がおりました。もちろんわたしは娘ではありましたが、当時の親父さんには娘に事業をさせるなんてことは論外でありました。

で、欲が出るんでしょうなあ。
息子3人にそれぞれ一店舗任せて運営すれば
オレは何もせずとも役員報酬すごいやんけ。と。

それで、隣町に廃業した居抜店舗の話が舞い込んで来た時に即決するんですなあ。
そこで、ホールコンピューターやらなんやら、とにかく何千万を借入するんですなあ。(億ではなかった記憶があるけれど、億いってたのかもしれない。賃貸ではなく買い上げと言っていたから)

で、さて。パチンコ業というのは許可営業でして
所轄の風営法にのっとって届け出をするわけです。
そこで、廃業している間に近くの高校のグランドが拡張していまして
建物の一部分が風営法上教育施設から離れていなくてはいけない距離にひっかかってしまうんですなあ。
で、建物を削れと通達があるわけです。

親父さんは、従うわけがない。笑

で、もめるだけもめて、建物内装備品全てそろった新店状態で閉店になるわけです。
銀行融資も決済されず、一気に借金抱えるんですなあ。
危ないお金にも手を出したそうで
本業だった建築業もろとも木っ端みじん。


しばらく放置していた親父に(あの当時は不良債権処理なんて言葉はなかった)銀行が言う訳です。
残っている債権に上乗せしてお金を出すから県北にある店舗をやってみないかと。

そうして、始めた小さな店舗の社長には弟が(他の兄弟はもう別の職についていた)
経理担当で事務員勤務でいいから、お姉ちゃん手伝ってくれ」と言われて関わったのが平成7年の10月でした。

それからこの小さなパチンコ屋さんに3億5千万の借入があったと知るのは
始めての決算の時だったんですなあ。時は平成8年の7月です。
税理士の先生から説明を受けて、はああ???って思ったのは。

監査役として役員に名前があることが誇らしかったのが
崖に突き落とされたようなショックだったなあ。
そういえば親父さんから「役員ひとり足らんから、お前印鑑証明作って送れ」と言われたわたしの名前も借主の1人であることがわかるわけです。

借入返済で毎月100万送金していましたが
内容を見ると、そのうちの25万だけが元金返済にあてられていまして

ちょ、ちょっとまってよこれ、これだと完済するのに112年かかるよ?と弟に話すと
そんな先迄考えたら経営やってけんで。と...。

いろいろあって、弟が辞めて
銀行と話し合ううちに、弟と親父さん、それから義理母の3人の役員を外してくれれば、リスケジュールに応じますと
銀行債権を組み換えた7年前に初めてその時の借入証書を返してもらうんですけど
「わたしの字じゃありません」と言うと
「昔の銀行はこんなものです。今は改善されていますけれど」だったかなあ。そんなことを言われました。

それなりに頑張って来たけど、そろそろあれです。(あれて。笑)

思うのは、
借金で死ぬな!
人生やる気があれば、やり直せる!

良く、参考にさせていただいたHPがあります。
吉田猫次郎/NEKO-KENさんち
http://www.nekojiro.net/

会社というものは、生き物です。
お金が足りなければ輸血(資金調達)しなくてはいけない
なんとか手形決済ができていれば、会社の寿命は伸びます。
ただ、伸びるというだけで不健康な状態が続くということですけど。

手形ほど、恐いものは無い。
会社が即死するカードを相手に持っててもらうんだから。
持っててというより、配っている感覚に近いのかも知れない。

僕は死にましぇんっ!と言った所で無言で引かれる感じ。


でもまあ、手形であっても「相手会社との信用信頼関係があれば」組み戻しという手法もあります。
ただ、これには次の銀行融資は出来ないという覚悟も必要ですし
その後の相手会社との取引も厳しいものになるのが現実です。

現金商売が本来の姿なのだと思います。商売のね。


なんか、吹っ切れた感じ。笑