似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

本 長崎海軍伝習所の日々

映画「天外者」からの波及でこの【長崎海軍伝習所の日々】を読み始めました。

 

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発売当初の切り抜きが挟まってました!

得した気分

こちらは絶版かな?中古でも1000円近くなお値段でした。

 

 

カッテンディーケ著書 彼は実際に2年間日本の長崎に住み指導にあたったそうです。

 

来月長崎へ行くので過去の長崎の様子も気になるし。

 

五代友厚は一期生で長崎海軍伝習所に所属したらしいというのは、前に読んだ本で認識ずみ。

まだまだ前半なのだけど、長崎の町並みの様子や寒ささえなければ永住しても良いと思ったという自然豊かな風景の描写はなかなかに素晴らしい内容です。

翻訳家の方の文章がとても読みやすく読み勧めています。

 

少し気になる記述が

長崎の花町(いわゆる遊郭)で勤めていた遊女について

映画では字を覚える事を「遊女が字を覚えて何が悪い。本を読みたいんだよ。世の中の事が知りたいんだよ。夢見たっていいじゃないか」と、はるがタンカ切る場面があるのだけど。

(どうしてもあの前半が納得いかないのであった。申し訳ない)

 

長崎のに存在したのは太夫と平八(これは長崎方言で、安女郎)の種類があって

主に平八は誰かれ構わず客さえあればよい。という風で呼ばれていたらしい。

ただし、この種の女は、長崎市内では許されておらず藩境の地方にごく少数住んでいて隔離されたすこぶる賤しい階級だったとあります。

とうことは、長崎の花町の遊女は太夫であったと解釈。

 

だとするとこのカッテンディーケが見た太夫とは、

(文中より)

賤しまれるよりも、その両親の罪。両親が貧苦のあげくまだ年端もゆかぬ養女の頃に妓楼に売り飛ばされた子供達の事らしく

それでも、姉妓は読み書き三味線その他女一と通りを見に着けさせたそうで、15,6になれば一本立ちの太夫になり、年期の明ける25歳になるまでは妓楼に勤めなくてはならないしきたりだったようです。

が、一定の身受け金を支払えばそれ以前でも抜ける権利を持っていて、たいていは家政婦として買われていき、25歳まではそのままに過ごしてしまう。

25歳になれば、再び妓楼に帰るも帰らざるも自由であった。と書いています。

しかもたいそう役にたったので、大切に扱われたと。

 

遊女の印象は江戸のそれとはまるで違っていたのですね。

脚本家の方の時代検証はなされた映画だったのかどうか

好きだからこそ疑問に思えてしかたなかったから納得です。

 

長崎の花町は五代友厚らが通っていた頃、映画にあるような風情ではなく

きちんとした太夫が鎮座していたに違いないと。

そんな事にこだわってしまうのも、そののち正子との間には子宝に恵まれながらも

再婚した豊子との実子に恵まれず、養女や養子を受け入れた五代友厚さんの豊子との間にある信頼関係を信じたかったから。

 

 

映画のストーリーは大事。

だけど、事実だけでも映画は作れたはず。と思ってしまうので

五代友厚プロジェクトの皆さんにも葛藤があった脚本だったのではと思ってしまいます。

 

 

富国強兵を志すきっかけを想像するに、勝海舟との出会いも大きくまた島津斉彬の影響も西郷隆盛との影響もあったに違いないと思うんですよね。。高杉新作とも知り合っているし。

 

 

+++また長くなっちゃった+++

 

読み終えるまでここに書き足していきます。