いやあ、もういい加減にしろよと。笑
それがね、本当に三浦春馬さん推しという意味も含みますけど
噛めば噛むほどに、観れば観るほどに
この映画の魅力に気付くわけです。
正直、一度観ただけでは展開の速さと説明のなさにおいてけぼりをくらうんです
①え、豊子といつ結婚したの?とかは大きな問題。実際には豊子の兄が2人の仲を取り持った史実あり
②はるの存在。どうしても、ここは男のロマン挿入という気がしてならない。
(がしかし、療養所を尋ねて声をかけるシーンは純粋な恋愛感情が湧き出ていて好きなシーン)
③髷を落とす意味を知らずにはあのシーンの壮絶さが理解できない
④あなたが西郷さんでしたか!
等などあるわけなのだけど、それはわたしがぼんやり観ていたからかもしれないですし
個人的感想です。
五代友厚の生き急いだ人生のごとく映画の展開も速く
ついていくのに精一杯だった初回から今日はもう落ち着いて観る事が出来ています。
何度も何度も観ていて(たぶん視野が広くなり)
どの景色もどの場面も写真集が欲しくなるほどに美しい映画です。
友情に涙したり、愛や慈悲、決別の涙や夫婦寄り添う姿も
坂本龍馬から励まされる船の上のシーン
母の前で髷を切り落とし懐に入れるシーン
英国船の中でのシーン
英国で(おそらく)はるを想って空を見上げているシーン
あげていると限がないくらい美しいシーンが多いのです。
特に
ずっと才助を見守っていてくれた母との別れの涙
この時の兄の言葉にも友厚のその辛さがわかり涙が止まらない。
いや、最後の会頭演説の時の目も凄いしその時の弥太郎の思いも龍馬のブーツも
止まりません。本当に限がない^^;
+++
あの時代に生きていたらどうなっていたんだろう。
そんな事を思うと、西郷さんの台詞「刀を捨て髷を切り、帰る藩もなくなり」というとんでもない状況に変化するんです。
和装から洋装へとの変化もそうだけど、いきなり自由や平等だと言われてもと
自分の生活で精一杯とうのが正直な所じゃないかと
そんな中、日本を、この国の行く末を思い行動した彼らの凄さ
ましてや、才助は藩の命を受け上海へ船を買い付けに行く時若干26歳しかも身なりを隠して隠密に行っています。
翌年、27歳で生麦事件を発端とする薩英戦争の時に捕虜になり汚名を着せられる長崎へ帰るのにも身を隠しつつ戻り
留学生ではなく世話人で若者を率いて
32歳(明治元年)には映画でも豊子と出会うシーンでの台詞がありましたけど
明治新政府の参与職外国事務掛
ただ、2年後には官には優秀な人材が多いが民にはいないと退き大阪の復興に携わるのです。
絵でみるはとてもわかりやすい
+++
この映画はファンだけで盛り上がらず、多くの人に見ていただきたい映画であることは間違いない。
そして、ひとつでも彼らの描いた「すべての人が夢見る事が許される時代」に生きている今からを考える時間に繋がると良いなと思います。
じっくり読みたいインタビュー記事もどんどん出て来て追いつかない。
でも、本当に構想から数年の活動と映画撮影の2019年10月クランクインからオールアップまでとてつもない情熱を掛けた映画人と俳優達が居た事を覚えておきたい映画です。
あと、どうしても書き残しておきたいのがこの映画の配給会社のギグリーボックス様の企業努力
12月11日全国47都道府県での公開から13日には26箇所も増やしてきました。
そして、まだまだ展開中という。シネコンから小さな映画館まで
これはもしかしてもしかすると、1月になっても上映されているかもしれません。
初日で完売となってしまったグッズも追って販売すると決定されたり
とにかく、俳優陣や映画への愛に溢れていて
そして、ファンにも寄り添ってくださっているようで
ギグリーボックス様が映画天外者の配給会社で良かった~と思います。