似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

19の夏とそれから

18の家出からすぐに部屋を借りてた19の夏は遊びまくってた。

 

あの時はお金がなくても洋服だけはブランドものを着てた

BIGIやY`sやコムサSCOOPのがお気に入りだった。

間違ってもピンクハウスなんかは着ない。

 

お給料の殆どを洋服や靴や鞄の支払にあててたから

家賃は安くても貧乏してた。(だから痩せた)

 

アパートの部屋は2間あったからか

友達も良く泊まりに来ていて例に漏れずたまり場に

 

あの時の周りの友達もみなブランド服を着ていたから

察してか、何かと差し入れを持ってきてくれていた。

 

珈琲豆ないの?持ってくる!(実家から)

冷蔵庫ないの?友達から借りてくる!

ご飯食べた?持ってってあげよって言われた(友達の母は優しかった)

たばこ、親父のをパクッて来たよー。とかとか

 

髪型は男の子みたいなリーゼントっぽくしてた

あの頃中古で買った10年落ちのHONDAのNコロに乗ってて

同じような髪型だった子を助手席に乗せて公園の周りをぐるぐるぐるぐる走って

飽きると隣町までドライブして温泉に入って帰ったり

ディスコ(今でいうクラブ)で踊り狂ったり楽しかった。

 

ある時、中学の時からの親友と一緒にいた女の子が

「Nコロでぐるぐる回ってる子めちゃくちゃカッコイイんやけど、声かけても知らん顔するんよー」と話してて

「ごめん。それあたし」って大笑いした事もあった

 

 

その頃つるんでた中彼女が少しずつ変な友達とつるむようになってた

ある日、彼女のツレが腕を怪我して首から包帯で吊ってた

「どうしたの」って聞くと「ラリって2階から落ちた」って笑ってた

 

予感はあたってた

原因はクスリとシンナーだ

 

ある時、そのたまり場に呼ばれて行くと

注射器があって、回し打ちしてた

袋にシンナーを入れて吸ってる子もいたし

部屋の中はタバコの煙で曇ってた

 

彼らはそういう事をわたしに強要しなかったから、ぼんやりその部屋にいた。

 

どこかで彼女の事を救いたいと思っていたのかもしれない。

 

わたしは彼女のことが好きだった。

堂々としてて、そのくせ優しくて面倒見の良い子だった

 

ただ、「きよみ、チャカ預かってしまった」といった時はどんびいた。

彼女の家に出入りしていた男の人は背中にもんもんがついてたから

なるほど、とは思ったけど見捨てることはなかった

 

その頃、彼女がどうしても10万必要だと言うから

現金は持ってないからキャッシュカードで借りて渡した

その頃の10万を女の子達が必要としている時は大抵避妊に失敗して男に逃げられた時だった。

 

きっと返すからと

彼女はその言葉を最後に消えた。

 

 

夏が終わる頃、祭りが終わったかのように

皆それぞれに忙しくなったのか

余り人の出入りがなくなってしまって

寂しかったのか、ある人を好きになった。

 

 

子供たちの父親だ。

彼とは3年後結婚をする

 

 

さて、わたしは不幸なのだろうか。

あの頃はまだ結婚適齢期という事が世間での常識だった

遠い親戚までお見合いの写真を送ってくるほどには

22,3,4の女子は結婚しなければならない雰囲気と

結婚させなければという雰囲気があったし

結婚式はあげて当然の時代。

 

それなりに世間の流れを知っていたし

当然結婚するものだろうと思っていた

どういった結婚生活になるとは想像もつかず

 

ただ、自分の母親を見ていて「従わなければ不幸になる」と心に誓っていた。

のちに、その呪縛が自分を苦しめる事になるとは

その頃想像もしていなかった。