似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

彼女の事

中学の時の親友

 

 

わたしは中学3年の新学期始まってしばらくしてから転入した

すでにクラスの中に仲良しグループが出来上がっていたから

移動教室も体育の授業の着替えも1人だった

 

その頃声をかけてくれたのは、皆転校生だった

東京、京都、宮崎

親の都合での転校で言葉のイントネーションがバラバラ

かろうじて大阪からのわたしと京都の子が似たような言葉使い

二人でお好み焼き屋を見つけて食べに行って

がっかりした事もある。(あの頃食はそこまで全国区ではなかった)

 仲良し4人組の出来上がり。

 

 

さて、彼女はいわゆる「いじめ」にあってた

彼女とはクラスが違ったし、教室の位置も3階と2階で分かれてた

ある日、廊下で彼女の事を皆が避けて通るのを目にした

「くさい」とか「ブス」とか色々な言葉を発しながら

避けて歩く子達に驚いた。

 

理由は、ただ誰かが始めたから。

たったそれだけだったんだと思う。

 

 

夏ごろには彼女も一緒に遊ぶようになった

5人組。ワルい事もワルイ事もワルイ事も。一緒だった。

 

ある日、彼女が皆でお揃えの洋服を着ようよ。と言い出した。

オーバーオールにボーリングシャツ、キャップまで揃えた。

それを全部彼女が支払うという。

不思議に思ったけど、彼女の家はとても大きくて

家具や家の様子を見ればお金持ちだと察していたので

そう気にもとめずにいたのだけれど

 

 

彼女のお母さんはとても優しくて

家に遊びに行くと、夜ご飯食べていきなさいね。といって必ずわたしの席も用意してくれた

彼女のお父さん、お兄さん

そう彼女の家族と一緒にテーブルに座って頂いた。

優しいお父さんと少し変わったお兄さん

お茶碗が空になるともっと食べなさいってお替りは強制的だった。

そうか、だから彼女太ってるんだ。と笑いあった。

 

わたしは、家に大嫌いな母親がいるから、かなりな頻度で彼女のお家にお邪魔していた。

 

18の夏、死ぬほど泣いたのも彼女の部屋だ。

ユーミンの「守ってあげたい」が流れる部屋で

 

 

後から知ったのだけど

彼女が中学の頃 皆にお揃いの洋服を買ったり

気前よくおごってくれたりしたのは

お母さんのお財布から盗んだお金だった

やんちゃそうに照れくさそうに彼女が話してくれた。

 

中学の頃の無敵感は親や教師への反抗だった。

ただ、それだけが楽しかった。

 

 

毎日笑いあえる友達が出来てわたしは強くなった。

殴られても泣かなくなった。

そして、とうとう母親はわたしを殴るのをやめた。