似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

背中

事業を起こしては倒産させてまた事業を起こして
つなぎはタクシーに乗って頑張ってた父。
昔はチップも多くて家族6人食うに困らなかった。貧乏だったけど。

その間母は事業があれば手伝っていたけど、事業が倒れた時には時として放心状態で家にいるか
宗教に走っていた。

父が別居を決めて行方不明になった一ヵ月があった。
母は気が狂ってしまい、わたしは家が面白くなくて不良化。
父が突然帰って来た日に「どっちでもいい。おまえたちが決めろ」と
大阪に母と残るか、大分へ父について行くか決めた。
兄は高校受験があったから大阪へ残り
わたし以下3人は父といっしょに大きなフェリーに乗った。

父は小さな建設会社に勤めていた。勤人なんて似合わないのに。
それから1年もしないで独立。工務店を立ち上げて建て売り住宅を手掛けてた。
最初の事務所はとても品粗なプレハブ建てで、それからしばらくして
きちんとした事務所に移った。その間に家も賃貸から郊外のモデルハウスの売れ残りだと言っていたけど
LDKの立派な家に移った。100坪もあった。

その間に母と兄がなぜか合流。母の合流を頑固として反対したのはわたし一人だった。

小さな工務店もそれなりに儲けが出るようになったらしく(バブリー時代)
またとてつもなく大きな家に引っ越した(このころわたしは家から家出して一人暮し)
大きな家に引っ越し途中に「お前の荷物」と言ってベットからなにから運んでくれた。
笑顔で「一人でよーがんばっとるやないけ」って言ってくれた。

それからしばらくして母は家を追い出された。(逆算すると愛人が居たらしい。母は知らない)
母を引き取ったのは20才のわたしだった。
行き場のない働く気もない母との同居は長く続くわけもなく
母を置いて小さなアパートを飛び出した。

それから母は吐血して入院。自律神経失調症にかかってまたわたしと同居をはじめた。

結婚したかったわたしはまた母を置いて立派な家へ(父の元へ)帰った。
結婚式、母を呼ばなかった。
父はその時再婚していた。(が、これもまた愛人ができたらしくその人を追い出した父)


とてつもなく大きな家は、2番目に再婚した時にその人の希望で売り、また別の大きな家にお引っ越し。
その家が父の最後の家になった。
会社がうまくいかなくなって(この時は3番目の人と結婚してた)
会社は倒産して3番目の人に逃げられた。

今わたしが受け継いだ事業は銀行からの話に乗り、立ち上げ
借金を返す為に借金に借金を上乗せして起こした会社。
そりゃ大変な状態。でも少しずつ整理しつつある。

今父は70才。逃げられた3番目の人へ未練残してるみたい。
だって、その3番目の人はわたしより3才上だったから22歳年下の人だったのかな。
お金なくなってしまって逃げられたから、またなんとかしようとしていたみたいだけど
やっとさとったみたい。

なんちゅー奴だ。って話しです。


そうそう。その最後の家も競売にかけられてしまい。
その時父はこう言ってた「買い戻せばいいんや」って。
良くわからないけど。家財押えられた時にも買い戻したって言ってた。
でも、最終最後には競売にかけられた家を出た。で、嫁さん逃げた。
父はだから前にわたしに「おい、家建てようや」って切り出したことがあった。
わたしと妹(17才離れてるけど妹)と父の3人での賃貸料合わせれば簡単や。って言ってた。
断ったけど。
あれは、寂しかったのかと今さらだけど、今日思った。

なに思い出語ってんだって。
長生きして欲しい。
まだ親孝行してないな。父にも母にも。