似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

長崎

去年、軍艦島へ行こう!と計画を立てた時に
せっかく長崎に行くのならと
長崎の平和祈念公園原爆資料館も予定に組みました。



資料館にはさまざまな展示物があります。
訪れてから約一年経って
今も印象に残っているのを思い出してみますと

最初この原爆を積んだ飛行機は長崎ではなく
小倉を目指していたんだと説明パネルがありました。
ただ、その日の上空の視界が悪く
急遽長崎に決まったのだと。

それから、当時長崎には捕虜の人を収容する施設があったのです。
捕虜として、被爆した人へのインタビューの映像が流されているコーナーもあるのですけど
その中で、どこの国の方かは忘れたのですけど
被爆してしまったのは仕方ない
あの原爆のおかげで戦争が終わったのだから。とおっしゃっていました。

世論、特に戦勝国にとっては、あの原爆で戦争が終わったと
そのような思想を植え付けてしまっているんじゃないかと
わたしは思います。
長崎から帰ってからしばらく、「白洲次郎占領を背負った男」や
坂の上の雲」を読む機会があり


どうして日本が戦争へと進んでしまったのか
軍の思うままに政治家が動かされてしまったのか
考えさせられることがありました。


日本はあの戦争で負けました。
負けるべくして負けたのでした。
もっと早くに判断すべきことであって
あの原爆が落とされたから終わったのではないと思います。


欧米諸国へ追い付き追い越せという時代の流れもあったのかもしれないのですけど
どうして日本が戦争へと進んでしまったのか。

今も政治家が欧米ではと良く言います
消費税率を決めるにしても欧米と比較すると日本は安いだとか
労働賃金ひとつとっても、欧米ではと
自国の国民性を理解し、自国の理念を持たずして
国際社会で模倣しているだけでは
いつか国は滅びてしまうのではないかと思います。

学校で習わなかった多くの歴史は
本当の意味で日本で受ける教育の義務として
習うべき歴史だったのではないかと思います。

と、ちょっと固い文章を書く時は
だいたい仕事が上手くいっていない時であります!

とにかく、原爆で戦争が終わったと戦勝国が認識しているようでは
戦後はまだまだ終わらないと感じるニュースが多過ぎます。

核廃絶と唱えるならば、広島と長崎に来て
まずは謝罪すべきでしょう。
それが戦勝国で戦後日本を一時期占領し、
憲法の原案に意見したアメリカのとるべき行動ではないでしょうか!