似合わない洋服は捨てました

気まぐれに気の向くままに

答えは見つからない

きっと完全な答えは見つかるわけではないのだけど、かなりしっくりと来たコラム

yoshiko115.exblog.jp

 

www.s40otoko.com

 

同じく、特別に追いかけていた訳でもない俳優さんだった

ただ、年末のFNS歌謡祭で見た彼は驚くほど輝いてて

息子に「誰?」とわざわざ聞いたのを覚えている。

youtu.be

 それから郷ひろみさんとのデュエットも。

 

ただ、あの訃報を聞いた時の絶望感がどこからくるのか分からなかったし

なぜこんなにも気になるのか知りたいと思い あの日から少しずつ遡り

彼自身が残した言葉や映像を知れば知るほどに

こんなに未来を見据えた人がはたして、それを選ぶのかどうか

最近ではこの点だけが気になってしかたなかった。

 

過労死について冷静に書かれている方のコラムを見ると

意外とわたしと同年代くらいの方が多い。

たぶん、若い頃のご自分に重ねていらっしゃるのだろう。

「24時間戦えますか」というキャッチコピーがあったバブル前後の時代に

30代を過ごされた方達なのかなと考えたり。

 

 

彼の名前で検索するとまだまだ場は荒れていて

 行き場のない感情をそのままぶつけている人も確かにいるのだけど

インスタで彼の名を検索すると昔の記事や笑顔や仲間との楽しそうな彼しか出てこないので

彼が幼い頃から追いかけていた彼のファンはおそらく

彼の発した言葉を素直に受け止め近づこうとしていた人が多いのではないかと

そんな事を思ったりする。

 

彼が生きた30年

20歳からの10年だけに絞り込んでも

人として正しく清くて仕事に取り組む姿勢や作品に込めた思いや

役作りのためのたゆまぬ努力、(時には呼吸法まで変えていたそう)

マイペースだけれど、きちんとファンに見せたい景色を描いていた人であったし、

いつも周囲にめくばりをし気を配っている様子しか出てこない

 

マネージャーの事をなぜか「マネジメント」と呼んでいたあたり

仕事は選んでいたようにも思えるのだけど

 

脳が疲れた状態とは。

誰しもが陥る状態ではないけれど

ありえるのではと思ってしまった。

 

news.mynavi.jp

 

(以下抜粋)

このような素晴らしい賞をいただき、大変光栄です。これまで私を支えてくれたすべてのスタッフ、そして応援してくれるファンの皆さんに感謝します。俳優としてアジアで活動する中で、私はその国ごとの美しい文化や人の優しさに触れてきました。エンタテインメントには、スポーツのように国境を越えて人々を結びつけ、興奮を生み出す力があります。私は自分の活動を通じて、アジアの国々の絆を強める役割を担い続けられたらと願っています

 

彼なら実現できたであろう景色をいっしょに見たかったなと

今は本当にそう思う。

 

これからも、きっと答えは見つからない。